唐突ですが地震のお話。
21世紀前半にも再発生する可能性が高いとされている、
東南海地震は最近よく耳にしますが、
前回の1944年12月7日に発生した東南海地震の最大規模の余震ともいわる三河地震に
興味がありまして、安城市歴史博物館の企画展「三河地震」を見学してきました。
三河地震について、以下は
安城市歴史博物館の
企画展からの抜粋。
>昭和20(1945)年1月13日 午前3時38分、
>西三河南部地方をマグニチュード(M)6.8の地震が襲いました。
>特に市域南部地域(旧碧海郡(へきかいぐん)明治村、桜井村)などでは、
>震度7の激しいゆれがあり、甚大(じんだい)な被害を受けたのです。
>例えば、現安城市藤井町では家屋の全壊率が92.8%、同和泉町では73.3%という
>悲惨(ひさん)なものでした。死者は全体で2,306人、負傷者3,866人、
>全半壊家屋23,776棟にもおよびました。
>また、この約1ヶ月前の昭和19(1944)年12月7日に起った東南海地震でも、
>市域では震度6を記録しました。しかし、当時は戦時下にあり、
>情報統制下が行われていたため、こうした実態はほとんど知らされず、
>「幻(まぼろし)の地震」とさえ呼ばれていました。
私の住んでいる碧南市西端は旧碧海郡(へきかいぐん)明治村です。
被災した母親の話では、当時のうちは傾いただけで済んだそうで、家族も無事でした。
ですが近所で数件家が倒れ、下敷きになって亡くなった方も居たそうです。
当時この辺りの写真が展示してありました。
町内にある
応仁寺は倒壊した様です。でもその奥にある建物は無事でした。
その残った建物は当時の西端小学校です。(後に移転した
前出運動会の小学校)
他にもたくさんの写真や当時の話を再現した絵が飾られていました。お近くの方は必見です。
何故か同じフロアに当時の五右衛門風呂が展示してありました。(笑)
こ、これに父親に抱きかかえられて入った記憶があります。もちろん自宅で。(汗)
・・・これじゃ年サバ読んでるって言われても仕方がないなぁ。(泣)